中の上と中の下のあいだ

凡人中の凡人が非凡になろうと足掻いたり、つぶやいたり、ゴネたり・・・

自分なりのこだわり

仕事が忙してくても「忙しい」とは言いたくない。

仕事が暇でも「暇です」とは言いたくたい。

どちらの状況でも「余裕があります」と言いたい。

結構便利な言葉!

自分の役割

自分は誰かの役に立っているのか、甚だ疑問です。

どうしても、この仕事は別に私じゃなくてもできるのではないかと思ってしまい、

自分の存在意義がわからなくなってくるのです。

世の中には、「自分は会社の歯車じゃない!」なんて言っている人もいるようですが、

私など歯車にすらなっていません。

最近、仕事が暇になっていることが最大の原因かと思いますが、それよりもまず根本的に、これまでの転職経験の中で、何のスキルも得てこなかったことがネックとなっている気がします。

勤務した職場は確かに皆、名の通った会社ばかりです。しかしながら、こなして来た業務と言えばそれこそ誰でもできることです。

「これに関することは○○さん」と言われるほどのスキルがありません。

仕事とは関係なく、趣味や特技だったら幅は広いのですが、それを仕事にしてしまったら途端に辛くなってしまう気もします。

ただ、唯一変わらない想いは、「誰かの役に立つ」こと。

だから誰かに「あなたのお蔭で元気が出た」とか「道が拓けた」とか「勇気が湧いて来た」と言ってもらえたら、この上なく嬉しいです。

あとはどんな手法で喜んでもらえるか、まだまだ模索していきます。

あと一歩の勇気

いつも後悔しないように、やりたいことはまずやってみるようにしています。

でも、あらゆる後悔の項目がある中で、未だに克服できないことがあります。

それは、「あと一歩の勇気を持つ」ということです。

私の場合は、自分の考えていることを皆の前で発言できない、ということです。

言いたいことがすぐ喉元まで出てきているのに、最初の一言が言えずに終わります。

例えば社内会議やミーティングなど。

明らかに私が説明した方が良いような状況でも、なぜか言い出せません。

少人数のミーティングなら全く問題なのですが・・・

アメリカなどでは、社内会議で発言できない人は即刻「仕事できない人」の烙印を押されてしまうようですね。

これはやはり場数を踏むしかないのでしょうか。

しかも困ったことに、三十五歳を過ぎてからは涙もろく、笑い上戸に拍車がかかり、イライラもつのり、ふてぶてしいクセに会議では借りてきた猫のように大人しく、気弱になる自分がいます。

これはもう心理カウンセラーの先生に診てもらった方が良いかも・・・

珍しい縦書き

そろそろブログのデザインを変えようかと何気なく見ていたら、なんと縦書きがあるじゃないですか!

この真夜中にテンション上がりました。

でもこれ、書いてる時は普通に横書きなんですね。

改行のタイミングが結構難しいかも。

でもこの"物書き"にでもなった感覚、好きです。

そうだ、手紙を書こう

日頃パソコンでパチパチ文字を打っていると、本当に字が下手になりますね。

久しぶりに万年筆を握った時の、とてつもない違和感と言ったらありません。

そうやって毎回、手書きを怠った後悔をし、字を書かなきゃ!と猛省してはやっぱりパソコンに戻るという繰り返しです。

でも一応意識して、事あるごとにお礼状を書いたり、便箋にこただわってみたり、筆記具を少し良い物をチョイスして気分を高めたりしています。そういう意味で、手紙を書くという事自体はとても好きです。

そういえばある日母が、その昔従兄弟からもらったという手紙の束を出してきました。

昭和三十年代の手紙で、全て毛筆です。

達筆すぎて読むのに一苦労でしたが、その温もりは時を経てもなくなっていませんでした。むしろ底なしの愛を感じられるほどでした。

現代だからこそ、直筆の手紙の温かみが有難く感じられるのですが、その手書きであるという事以上に、従兄弟から母への何気ない気遣い、優しさに心が震えました。

好きだも愛してるも何も書かず、いやらしさや下心など微塵も感じられないのに、手紙一面に愛が溢れているって、もうプラトニックの極みです。

でも、当時まだ若かった母は何も分からず、いろいろ教え諭してくれるお兄さんだなぁぐらいにしか思っていなかったそうです。

時代を経ても、他人が読んでも涙が出そうなほど愛に溢れた手紙を書けるのは、能力なのか、徳を積んだからなのか・・・

毎回ワンパターンの手紙しか書けない私。能力もなければ大した徳も積んでいない。

凡人は地道に場数を踏むしかなさそうです。

そうだ、やっぱりまたあの人に手紙を書こう。

本業の女性と非本業の女性

私は一応女性なのですが、自分の中に男性的な部分があると自覚しているため、

せめて言動や行動などは女性らしくしようと心がけています。

お陰様でたまーに「女子力が高い」評価をいただきます!

この女子力とやらが、「女性らしい」という意味だとすれば、本業の女性より女子力が高いと思うのは、マ○コさんやミ○ツさんやI○KOさんなどのオネエ様方だと思うのです。

言葉遣いや仕草など、やっとこさ女性である私より女性らしいと思うわけです。

だから言葉の使い方や話し方など、オネエ様方をお手本にしようかなどと頭の隅にはいつも置いています。

でも本業が女性である人間がオネエ様方を真似して話すと、なぜかわざとらしく、気取っているように聞こえてしまうような気がするのは私だけでしょうか。

なぜにオネエ様方はわざとらしく聞こえず、ともすれば本当に上品に見えてしまうのでしょうか・・・

知恵を絞って考えた結果、板についているか否か、という結論に至りました。

きっとオネエ様たちは、本業が男性であるがゆえに、普段の生活からかなり気を引き締めて女性らしく過ごしているのではないかと。

家に帰っても、きっと胡座なんてかかないんでしょうね。

ルームウェアもきっと素敵なものをお召しになっているに違いない。

胡座をかいて、テキトーな普段着で過ごしている私は、きっと板についていないに違いない。

宝塚の男役さんは、プライベートでも男性らしくふるまっていると聞いたことがあります。

普段の生活は外面ににじみ出る、ということなんですね。

よく考えると恐ろしいことです。

誰も見ていないところで如何に女性らしくできるか。

30代最大の課題です。

 

口うるさくなる理由

どうして人は年齢を重ねると口うるさくなるのでしょうか。

三十六歳ですが、自分でも口うるさいなぁと自覚しています。

とはいえ、小言は口に出さずにちゃんと心の中で留めているんですよ。

でも心の中は小言の嵐です。

最近の若いもんは・・と嘆いてばかり。

このところよく嘆くのは、若い二十代の女の子が、袖を手の半分くらいまで伸ばして(というか始めから長め?)可愛い子ぶっているあれです。

あれ、男性にとってはかよわく、守ってあげたくなる萌えポイントなんですってね。

でもね、嫌なんです、すごーく。

だってまず職場でそれだと、やる気あるのか疑わしくなるし、そういう子に限って決してか弱くないから!

 

まだあります。

普段とっても地味めで、自己主張もなく、どこか秘密っぽく、あっけらかんとしたところがない、虫も殺さないようなおとなしそうな人が、

真っ赤なネイルをしてきたり、ふとした瞬間に強かな一面を垣間見ると、個人的にはダメです。そこがギャップ萌えだったりする人もいるかもしれませんが、私はちょっと・・・

一体猫の皮何枚被ってんだよ!と思います。

そういうシレっとした人には何度も泣かされてきたので、トラウマになっている気もしますが・・・こういうコソっとした人は一見かよわく見えて、あ!今傷つけちゃったかな・・・と相手に心配させる、気を遣わせるテクがピカイチなんです。

裏表のないあけっぴろげな性格の人間が悪者になるよう仕向けるんですよ、かなり自然に。だいたい最近コツを掴んできたので、強気に言うようにしています。

だいぶ脱線していますが、口うるさい小言が口から出るようになったらちょっとだけ気を付けることにします。