中の上と中の下のあいだ

凡人中の凡人が非凡になろうと足掻いたり、つぶやいたり、ゴネたり・・・

旅行の何が楽しいのか    

旅行を否定しているわけではありません。

旅行へ行っても、その土地の世界遺産やいわゆるこれは見ておかないとダメでしょう!というものに興味が湧かないのです。

これまで自分は旅行好きだと思っていました。

先日、少し長い休暇が取れたので、旅行計画を練り、ホテルやフライトを予約しました。当日までは当然ウキウキです。

空港へ行って、搭乗手続きをして飛行機に乗って・・・

この、非日常空間へ旅立つまで楽しみなのです。

実際に現地では、予め見学を予定していた所を制覇したらもう満足。

あとはホテルでゆったりまったりで十分でした。

旅行に行ってまでゆったりまったり過ごしたいなら自宅でいいじゃないか、という人もいます。

でも、ただ街を歩いてその土地の空気を吸い、その土地の雰囲気を肌で感じ、人に会い、言葉を聞き、たまに美味しいものをいただく、それで十分なのです。

きっとひと昔前の自分なら、旅費の元を取ろうと、ここぞとばかりに予定を詰め込み、大して興味もない観光名所を巡ることに躍起になっていたのかもしれません。

確かに、旅費をかけてマッタリしに行くのはなんとも贅沢な気がしてなりません。

そんなお金を使い方をして良いものか。旅先でのほほーんとしていて良いものか。

どうせお金をかけたなら、人の役に立つ旅行記でも書いたらどうだと、自分に問いかけることもたまにあります。

そんな中、唯一その土地で必ず行きたいのはご当地スタバ。

観光名所よりもご当地スタバが勝ってしまう私の旅行って・・・

私の旅行、こんなんでいいのか・・・?

 

 

売り込み下手です

自分を売り込むことが昔から苦手です。

「自分、こういうのやってます!頑張ってます!」というのはもとより、SNSでこまめに自分の日常を発信したり、というのが苦手なのです。というか興味がないんです。

自分の日常を知らせる必要もないし、他人の生活にも全く興味がない。

更に言えば、他人の「日々頑張ってます!」という情報を目の当たりにすることほど、自分が情けなくなる瞬間はないのです。

凡人は凡人なりに頑張ってきたつもりですが、やはり数え切れないほどの後悔に塗れた人生なので、他人云々に構っている余裕は、正直ないですね。

ただ、今後会社勤めを辞めて、自分で何か活動をする場合は、情報発信が苦手だとは言っていられないんだろうな。

さて、どうしたもんか。

漢字を覚えるために

お恥ずかしながら、今だに結構読めない漢字があります。

漢字が書けなくても、今の時代ならば「日頃PC使ってるとどうしても書けなくなりますよね!」とごまかせます。

しかしながら、読めないとなると何とも理由が立ちません。

人並みに本は読んできたつもりでしたが、なぜかだめです。

こうなったら漢字検定でも受けてみようかと、とりあえず1級の過去問を見てみました。

ちっとも読めません・・・

そして1級を受けるための心構えのようなサイトを見つけ、更に、「あ、無理だわ」と思ってしまいました。

かなりの時間と労力と計画が必要なのです。

 

どうせ受けるなら1級と一瞬思ったけれど、それくらいの労力が必要なら、多分他にやらなきゃいけないことがあるんじゃないか、と思い、結局断念。

地道に本を読んで、地道に辞書で調べるしかないですね。

 

 

引っ込み思案な社長

引っ込み思案な社長、物怖じする社長っているんでしょうか。

いつか自分の意のままにできる会社を起こしたいという願望を密かに持っています。

そんな願望を持ちつつも、引っ込み思案で、物怖じするという自分の弱点は理解しているので、ふとそんな疑問が頭をよぎりました。

人の上に立つには、少なくともこの二つはあっちゃいけない要素なんじゃないかと思います。

でも、そんな二つの弱点を兼ね備えた社長さんがいらっしゃるなら会ってみたいものです。

 

詩を書くという気づき

最近ちょっとした出来事で、"詩”という存在を思い出しました。

小学校の文集に載せた以来、ほとんど関わりのないものでしたが、ちょっと書いてみてもいいかも、と思ったのです。

そこで詩の書き方は如何に?と思い、調べてみました。

思ったこと、感じたこと、見たことをそのまま書く、と書いてありました。

でもそうすると文章との線引きが分からず・・・

更に調べたら、今度は「リズム感」があること。

なんだか調べるほどに縛りが増えていくじゃありませんか。

これじゃあ自由気ままに書けないですね。

とはいえ、文章にしても詩にしても、本当に心から思っていないと書けない、というのは共通しているような気がします。

日々色々と思うことはあっても、一つ一つと向き合って深く考えることをしなくなってしまったような自覚はあるので、これを機に、いちいち詩なり文章なりに書き起こしてみたほうが良さそうですね。

結婚できない理由

私は大学院卒業だ。

そもそも大学院に入ろうと思ったのが運の尽き。

地元に帰れば「アンタに見合う人材はここにはいないよ」と言われる。

都会に出れば大学院卒なんてゴロゴロいる。

そんな中に入れば、逆に「院卒なのにその程度?」と思われているような気がする。

あくまでも私の思い込みだけど。

でも、きっとそういうことなんだと思う。

地方では稀有な存在で高嶺の花、らしい。

だからみんな無理だと思って誰も私に近づこうとしない、らしい。母曰く。

都会へ出れば、院卒でその分野を語れる女子はいくらでもいる。

賢くて、可愛げのある子はやっぱり飛ぶように売れる。

学者のように何かを語れたり、研究していたり道を極めているならまだしも、私のような広く浅くでどっちつかずの中途半端な人材って、持て余されるんだろうな。

高学歴が売れ残るわけじゃない。

ひたすら"中途半端”な高学歴が、売れ残る。

中途半端は中途半端なりにそれに徹していればいいものを、身の丈じゃないものを求めようと足掻くからこういうことになる。

凡人は凡人のままでいいのに、わざわざ非凡になろうとするから厄介。

イカロスが蝋で固めた羽をつけて飛んでる状態ってことですよ。

そりゃ高みを目指したら蝋溶けるわ。

 

とりあえずこんな中途半端な自分なら、大学院卒とか言いたくない。

大学院に行ってないことにするのは学歴詐称なんでしょうか?

自分なりのこだわり

仕事が忙してくても「忙しい」とは言いたくない。

仕事が暇でも「暇です」とは言いたくたい。

どちらの状況でも「余裕があります」と言いたい。

結構便利な言葉!