中の上と中の下のあいだ

凡人中の凡人が非凡になろうと足掻いたり、つぶやいたり、ゴネたり・・・

他言語の聞こえ方

自分で話す外国の言葉が、その国の人にどのような聞こえ方をしているのかとても気になります。

例えば中国語で「我吃饭了」(私はご飯を食べました)ですが、

日本語でご飯を食べたという言い回しは山ほどありますよね。

・ご飯を食べた。

・ご飯食べたよ。

・ご飯食べたんだよね~。

・メシ食った。

などなど、その時の状況によって微妙な変化が日本語にはありますが、中国語はたいていは上記の言い方になります。

てなると、現地の人には「ご飯食べたよ」と聞こえているのか、「食べたんだよね~」と聞こえているのかが分からないのです。

いつもこれを誰かに聞いてみようと思って機会を逃しているので、とりあえずここに載せておきます。

最近の世の中の風潮

あっという間に年が明けましたね。

年々時の流れの速さが身に染みます。

小学生の時は1年があんなに長く感じていたのに不思議です。

自分の年齢=時速とはよく言ったもんです。

私は現在時速37キロで走っています。

おじいちゃんおばあちゃん世代なら70~80キロのかなり速い速度で年々駆け抜けるわけですね。

さて、最近個人的にかなり気になっている世の中の風潮があります。

そのうちの2つをご紹介。

①代替←これは皆さん何と読んでいますか?

 私は昔から「だいたい」、これからもこう読むつもりです。

 でも、あまりにも「だいがえ」と読む人が多いのです。

 今ちょっと調べてみましたら、「だいたい」と読む人が過半数以上いてホッとしています。どちらも間違いではないと思いますので使いやすい方で良いのですが、辞書などはかなりその時代の風潮に合わせて多く使用されている方をメインで載せると聞いたことがあります。そのメインが「だいがえ」になったら少しショックだな、というぐらいのことです。

 

②着付け教室について

着物の着付けは確かに難しくて敬遠されがちですよね。

しかし最近では、着物を自分で着たい!という方々の要望に応えるため、または国内外の観光客向けに「着物を着て街あるき」的ないわゆる観光戦略の一部とする活動も盛んですね。着物離れが進んでいるなかで、このような傾向はありがたいことだと思います。

でも、よーーく考えてみてください。

民族衣装は着られて当たり前なのに、こんなに着付け教室が多くて、着付けの先生と言われる方が山ほどいらっしゃって、しかも内○府認定の教室だとか・・・

なんかおかしくないですか?日本。

そして、自分で着物が着られますと言うと、決まって「教室通ったんですか??」と言われ、誰かに着付けて差し上げると、「着付けの資格お持ちなんですか??」

と言われます。

着物って、着付け教室に行かないと着ちゃダメなんですかー?

資格がないと人に着せられないんですかー?

と思うわけですよ。

私は、海外留学する前に母に教えてもらってそれキリです。

あとは場数を踏んできただけ。

なので、着付け教室に2年も3年も通っている方々は、何を学ばれているのでしょうか?まさか十二単の着付けまでカリキュラムに入っているのでしょうか?

日本人なんだから着物は着られて当然でしょ?とは言えない今の風潮。

なんだか釈然としませんが、いずれにしても和服が日本から消滅しなければそれで良いです。

 

 

 

新たに分かった中国人像

ある中国の友人から聞きました。

「中国人て凄い嫉妬するんだよ」

同僚がブランドバッグを持っていたら負けじと自分もブランドバッグを買い、

誰かが外車に乗っていたら自分も・・・というふうに。

これを話してくれた友人は、ブランドも詳しくないですし、そもそも持ち物などで人と競うことをバカらしいと思っている常識的な(?)中国人です。

でも彼女のお父様は結構人の持ち物など気にする方らしく、

自分の乗っている古い車を、ドイツ車に乗っている友人にバカにされたところ、ある日意気揚々とドイツ製の洗車機を買ってきたそうです。

なんか笑えますが、本人は必死なんでしょうね。

こんな話を聞く今の今まで、中国人は嫉妬とは無縁の民族だと思っていました。

面子を何よりも大事にすることは分かっていましたが、面子と嫉妬ってちょっと違うよなぁ。

私が嫉妬とは無縁と思っていた理由は、すんごく太った女の子が、超ミニスカートを履いて自信満々に歩いている光景をよく見ていたし、

真冬にランニングシャツと短パンでローラースケートをしているおじさんがいても、誰も二度見しないですし、そもそも人の事を気にしない「人は人、自分は自分」という主義を貫いているような言動をする人が大半だったからです。

これが面子を保つための発言だったとしたら、まぁなんとなく納得はできます。

でも現に、私は中国に住んでいて日本よりも楽だと思うことがたくさんあります。

どんなに変な恰好をしても、まつエクが取れかかっても、誰も気にしないし気付かない。

あ・・・そもそも嫉妬の対象になってないってことかーー!

心の荒みなのか、なんなのか

昨日は馬頭琴の演奏会がありました。

馬頭琴との出会いは小学生の頃です。

母に連れられて演奏会に行ったことがあります。

力強い音色で、馬のいななく音なんか結構再現できたりするんです。

このような演奏会に行って、奏者が最初に音を奏でる瞬間はいつも、鳥肌が立つんです。なんというか、自分ではどうにもできない魂が揺さぶられる感じというか。

でも、今日はそれがありませんでした。

別に奏者が下手だったわけでもなく、超がつくほどの有名な演奏者ですし、

何しろ演奏の主題が大草原をテーマにした壮大なスケールでソウルフル。

と考えると、身震いしなかったのは、私の心の問題なのかも。

荒んでるのかも・・・と思ってしまいました。

でも、「スーホの白い馬」の演奏はなぜか涙が流れました。

なんでしょうか、曲の背景にある物語やいろんな経験が織り交ざったからなのでしょうか。

年を取ると涙もろくなると言います。

ある番組である方の、「それは経験値が上がるからなんだよ」という言葉に妙に納得した覚えがあります。

じゃあ今日の涙は、経験値から来るものかしら??

音色が心に響いたわけではなく?

どちらにせよ、笑うことと泣くことは体にはイイらしいです。

NK細胞(ナチュラルキラー細胞)が増えるらしいですよ。

 

面白い食べ方

たまに石焼ビビンバが食べたくなります。

あれって、カンカンに焼かれた石の器にジュージューいいながら運ばれてくるので、あのジュージュー音に急かされながら急いでスプーンでかき混ぜますよね。

今日もあのアツアツのビビンバを食べたくてやってきました!

一生懸命かき混ぜていると、向い側に座った若い男性も石焼ビビンバを注文。

ジュージューいいながら、その男性のところに運ばれてきました。

が、手に取った物はスプーンではなくお箸。

かき混ぜる行為とは無縁の、普通に白いご飯を食べるように、お箸で上の方から上品に掬って召し上がってます!

あ~、もう下のほうガビガビに焦げてますよーー。

もったいない・・・

あるオジサマの主張

そのオジサマは、新聞を読めと言います。

今の若者は、このネット時代のせいで、自分の欲しい情報しか取りに行かなくなったと。

確かに・・・私もそのうちの一人です。

新聞を隅々まで読まないから、社会の全体像をリアルタイムで掴んでいないのです。

だから知識が偏ってしまうんですよね。

その主張を聞いてから、私は早速新聞を注文しました。

一応向上心はありますから、イイと思ったら即実行ですよ。

そしてもう一つの彼の主張は、「わざわざ人に会いに行け」

あーー、これもご最もです。

メールでちゃちゃっと近況を伝えあったりしていますが、

正直メールって、誰が打ったか分からないですよね。こわいこわい。

じゃ、手紙にしますー。

いついつ会いませんか?って手紙に書いて出して会いに行きますか!

なんなら携帯もやめてみます?

待ち合わせは誰もが分かりやすい場所で。

すれ違いを避けるために、その場を離れる時は掲示板に書き込みを・・・

なんてこった・・・アナログすぎる!昭和すぎる!

なんでもほどほどに。

でも、便利するぎる世の中だから、どこかにアナログを取り入れてホッとしたくなるのは事実。

PCのせいで本当に字が下手になりました。

ずっと治らなかったペンだこが今じゃすっかり他の指と大差ないほどに。

んー、良くない!字の練習しよ!

あえて苦手なものに挑戦

昔から数字が苦手でした。

算数の時代からもうダメ。担任の先生がひどくえこひいきする人で、

私はもちろんえこひいき非対象者。

小学校1年生の苦々しい記憶って恐ろしいほど残ってるもんですね。

その時の情景やらニオイまで鮮明なんですよ。

そういうトラウマのせいで、算数、数学の類は無理です。

今だに、消費税を自動計算してくれる計算機がないと値段がよく分かりません。

そんな私が非凡になるために!とうとう挑戦、というか勉強始めてみました。

その名も“資産運用”

運用するお金もないくせにね。でも、老後のこととかいろいろ考えると、

なにか行動せずにはいられないのです。

とりあえずネットで検索しまくり、なんとなく概要は掴めた感じ!

てことで今はすこぶる満足です。

これからが本番なのに、もう資産形成できたつもりでいます。

いるいる、ダイエット器具買って痩せたつもりの人。私じゃーん!